〔弁護士 山﨑靖子〕

 「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた「鬼の木村」の伝記である(本の雰囲気につられて「である」調で行きます)。

 ・・・と言われても「木村て誰や」と思った人も多いと思う(私もそうだ)。史上最強の柔道家と言われ、そして、「力道山に負けた男」である。

 1917年(大正6年)、熊本の貧しい砂利取りの家庭に生まれた木村は、牛島辰熊に見いだされて拓殖大に進学した。1日10時間を超す練習を続けて技を磨き、師匠の牛島も果たせなかった天覧試合で勝利する。

 戦後、プロ柔道家になったものの経営がうまくいかず、プロボクサーに転向し、1954年、力道山との試合で負けた。

 「僕の一番好きなことは『勝つ』といふことです。一番嫌いなのは『負ける』ことです」、と言い、「爪を切るのは試合の3日前、脂が抜けてだるくなるから試合の前日は風呂にはいらない」というほど勝負にこだわり、負けたら腹を切る覚悟で試合に臨んでいた木村が、だまし討ちかもしれないが、力道山に倒されたのである。

 その後力道山は国民的スターとなり、木村は世間から忘れられた。

 木村は、「健全なる肉体には健全なる精神が宿るべきだ」の見本のような人間だったと思う。プロ柔道家としても、プロレスラーとしてもうまくいかず、副業のキャバレーもつぶした。柔道をすること以外何一つできることはない人間だった。思想性は一切無く、尊敬できる人間だったとは思えない。単に柔道で勝ちたいだけの人間である。

 力道山に敗れた後、木村は力道山を殺すために懐に短剣を忍ばせていたようだが、果たすことはなく、再度対戦することもなく、力道山は昭和38年にやくざに刺されて死に、木村は平成5年まで生きた。

 この本は、木村の愛弟子・岩釣が裏格闘技大会で木村が理想とした柔道で勝ち続けるシーンで終わる。
 敗者復活戦が好きな人にお勧めします。

 ブログの最後はアントニオ猪木の詩で締めくくる。

    「道」
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わずゆけよ
行けばわかるさ
                                                  (了)