〔弁護士 中谷祥子〕

記念すべき私の担当1回目ですのに、藤澤弁護士が書いてからだいぶ日があいてしまい申し訳ありません。1回目だから最高裁判例に触れて私の意見を述べたいという気持ちもあったのですが、これ以上の熟考はよくないだろうと思いまして、次回以降にとっておくことにしようと思います。

そこで、月並みですが、1回目ですので、自己紹介をしてみようと思います。

私は、生まれたところは奈良ですが、育ちは東京です。こう言うとなんだかアーバンでおしゃれな雰囲気(例えば、オープンテラスで朝からカプチーノとパンケーキを楽しんでいるような。)をイメージしがちですが、東京は東京でも、多摩地区のやや23区より(ここだけは譲れない。)の地域で育ちました。そのため、幼稚園では弓矢を練習したり、ロープを使って山登りをしたりと、あまり都会っ子らしくない幼少期を過ごしました。

小学校では、底抜けの音痴なのに気にせずに学芸会で準主役級の役をやるなど、大胆なところもありました。また、読書が好きで、この年代の子が読む本は大体読み尽くしていると思います。どんなジャンルでも読んでいましたが、選考基準は本の分厚さ、でした。分厚ければ分厚い程、本の世界にいる時間が長く続くからです。

中学校・高校は、音楽に明け暮れていた日々でした(音痴なのに!笑)。高校ではオーボエを担当していました。オーボエは世界で一番難しい木管楽器と言われている楽器です。しかし、音色は私が思うに世界でも一番美しいと思います。例えば、だいぶ昔ですが、NHKの朝ドラの「あすか」の主題曲はオーボエの曲です。そんな私がなぜオーボエを選んだかというと、単純に学校にあったからでした。他の楽器だと自分で購入しないといけないのですが、オーボエはとっても高価な楽器なため、学校が所有していたのでした。

大学に入ってもオーボエを続けようかと思ったこともありましたが、なにせ私は音痴ですので、そんな難しい楽器は手に負えないのです(早く気付け!)。そんなわけで、大学では、民法研究会というところに所属していました。お堅いのは名ばかりでその実態は焼き肉サークル、または部室でゲームをするサークルでした。なんだかんだ今でもこの民法研究会のメンバーとは、仲が良く、週末にオンラインでドラクエ10をしています。私はへっぽこな僧侶(AIの方がうまい。)です。

このように育った私ですが、なぜ奈良に来たのかというと、両親の実家が奈良にあったため、司法修習(司法試験合格後に国が行う研修です。私のときは1年間の研修期間に国から給料が出ましたが、今は出ません。これについて皆様はどう思われますか?)を奈良ですることを選んだことにつきます。1年間の奈良での研修で、すっかり奈良が気に入ってしまい、今に至るということです。

弁護士は、まじめでお堅い、近寄りがたい存在、と思われがちですが、このブログを読んでいただき少しは親しみを持っていただけたれば幸いです。